今回の派遣ではウズベク語のトレーニングで32年ぶりに駒ヶ根訓練所の生活を楽しみました。
32年前の駒ヶ根と今回の駒ヶ根を比べてみると・・・・
1. 生活棟が増えた
32年前は、今回の男子棟のみでした。 1・2階を男子候補生、上階に女子候補生がいて、今は一人一部屋で快適ですが、当時は一部屋に2人ずつ、二段ベッドで生活してました。 狭かったですが、訓練所独特の雰囲気があって、楽しい毎日でした。当時の同部屋のC君とは今も賀状を交換しています。
2. 講堂が増えた
「森のステージ」なんてなかったです。 しゃれた講堂で、私の記憶が確かなら、北陸にある劇場(能登演劇堂)で同じような構造の建物で、舞台の奥が直接外界に通じる、仲代達矢さんの芝居があったような・・・。
3. 食堂:まったく変わらず
32年前とまったく変わらない食堂でした。 懐かしかったです。
食事の量は32年前のほうが多かったような・・・訓練中、豪華で大盛りな食事に仲間と「オレたちはブロイラーか?」と言い合ったものでした。
食事当番は昔と同じ。
4. 中庭の階段、あんなに急で狭かった???
事務棟と生活棟の間に中庭。 昔のままでしたが、私が訓練を受けたときには120名ほどの訓練生と語学講師・職員、全員で階段に整列して記念写真を撮りました。 今回久しぶりに見てみて、こんなに急で狭い階段だったか、と驚きました。 中庭ももっと広かったような・・・ きっと30年の歳月で木々が大きく成長して、逆に庭全体を狭く感じたんだろうと思います。
5. 訓練日数が短くなった
32年前は3ヶ月(90日余)でした。 そのせいか、座禅訓練で二泊三日で静岡県の禅寺に放り込まれたり、伊那谷の向かい側の陣馬形山までサバイバル訓練があったり、・・・・ 当時は年間3次派遣だったので、90日余でも日程が組めたのでしょうね。 今は年間4次派遣になっていますから、75日でも次の隊次の準備期間を考えると厳しいのかもしれません。
いろいろと変化もありましたが、協力隊訓練所がもつ独特の雰囲気というのは、昔も今も変わらないように感じました。 「独特の雰囲気」というのは、例えば「自分をさらけ出すことに抵抗がなくなったり」「自分のためよりも、まず周りの他者・仲間のため、を重んじたり」、いわば、阪神淡路や東北の震災後のボランティア最盛期のころのような雰囲気が訓練所には感じられました。
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