歌舞伎や人形浄瑠璃に登場する黒衣が演劇や舞台芸術の世界で日本特有のものなのかどうか、他の国にも黒衣に相当するものがあるのか否か、私は知らないのだけれど、『黒衣』というのは極めて特色のあるシステムだと思います。私たちは舞台の上に黒い衣装の人たちが役者の着替えを手伝ったり、人形の所作を補助したりするのを「見ている」のだけれど、同時にまた私たちは「そこに黒衣など存在しない」ことを相互了解しています。作品の進行に邪魔である、などと感じることは決してありません。「そこに確かに存在するのだけれど、『そこには存在していないことにしておく』と皆、了解している」という不思議な空間を、歌舞伎・人形浄瑠璃の演者と観衆は共有し得ている、というのが日本独特の黒衣文化といえます。
話変わって、
かつて何度となく繰り返され、今もまたメディアを賑わせている「政治家の失言」の数々。そこで度々耳にするのが、「不適切な発言であると認め、発言を撤回せよ」という攻め言葉であり、「・・・お詫びして、発言を撤回させていただく・・・」という弁明です。 あるいはまた、それが議会などの発言であれば、さらに「当該発言を議事録から削除する・・・」というおまけがつきます。
発言を撤回すると「そのような発言はしなかった」ことになります。議事録から削除すると「議会でそのような発言はしなかった」ことに加えて「そのような発言は存在しなかった」というのが共通の了解事項になります。 周りのだれもが「彼/彼女がそのような発言をしたことを知っている」のだけれど、みんなで相互に「彼/彼女はそのような発言をしなかった、と了解している」というわけです。
この相互了解にいたるプロセスは「黒衣の存在」を「黒衣の非在」という相互了解に塗りこめてしまう不思議な空間を共有できる、わたしたちの文化風土に相通じるところがあるような気がするのですが、いかがでしょう・・・
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