ペリリューにて(2)

日曜日 , 29, 4月 2018 1 Comment

       (*1) この記事は、パラオ国でJICA・ボランティアをしていた2010~2012年のものです

石原吉郎さんの詩に「礼節」という作品があります。

     『礼節』

  いまは死者がとむらうときだ
  わるびれず死者におれたちが
  とむらわれるときだ
  とむらったつもりの
  他界の水ぎわで
  拝みうちにとむらわれる
  それがおれたちの時代だ
  だがなげくな
  その逆縁の完璧さにおいて
  目をあけたまま
  つっ立ったまま
  生きのびたおれたちの
  それが礼節ではないか
              (詩集「礼節」)

聖書に「死者は死者をして葬らせよ」という言葉があります。 マタイ書で、父親の葬儀をすませてからイエスにつき従いたい、という弟子にむかって言うイエスの言葉です。 私はこの聖書の言葉が好きではありません。

一見、哲学的啓示に満ちた言葉に見えるのですが、前後の文脈の中で、小情況(私情況)を捨て大情況(公情況)に自ら投ぜよ、という古色蒼然たるイデオロギー/教義を感じさせる言葉と(私には)思えたから。 

わかりやすく云えば、井上陽水「傘がない」の世界をより親しく感じるように(私が)変わったから。 

一方で、石原さんが「逆縁の完璧さ」と表現する彼我の関係には、一切を超えて死を死につづける死者の底知れぬ抗しがたい沈黙の前で、圧倒的に無力な、「生きのびる」ことによって死にそこなった「おれたち」が見えます。 「死者」がまさにその「死」によって生きつづけているのに対し、「生者」はその「生きのび」てしまったことによって「死者」以上に死んでいる、という逆縁かもしれません。 聖書の言葉の風景が規範であるとすれば、石原さんの「礼節」の風景は、規範からははてしなく遠い内発する倫理の位置をさしているのかもしれません。

石原氏にとって「死者」とは、シベリアの地で厳しい抑留生活の果てに望まぬ死を迎えた同胞であり、私がペリリューの戦跡を訪ねたときに感じた、戦跡のそこここに沈黙を抱えてうずくまったままの兵士達もまた、私がとむらう死者ではなく、私をとむらう死者であったかもしれません。 石原氏とこの「礼節」のなかの「死者」との間には、同じ生と死の水ぎわにたたずんでいたという事実によって「その逆縁の完璧さ」のなかでさえも絆の予感はあったはずで、一方で、数十年を経て、戦後世代である私には「その逆縁の完璧さ」からさえも厳しく疎外されたまま、60数年間、空をずっと凝視し続ける対空砲の向こう側で真っ暗な沈黙を抱えたままうずくまる「彼」に「目をあけたまま」かける言葉を失い、「つっ立ったまま」彼の位置と私の位置との圧倒的な位相差を感じるしかありません。 アリバイ証明のように慰霊碑に手を合わせても、うずくまる「彼」の底知れぬ沈黙がとける気配は当然のことですが、ありません。

下の絵は、石原氏と同様にシベリア抑留の後に帰国し、1974年に亡くなった画家・香月泰男氏の「シベリアシリーズ」のなかの作品です。 香月氏の描く「人の顔」はどれもみな同じに見えます。 シベリア抑留という、人格をことごとくそぎ落とされる過酷な境遇のなかで、人がそれぞれの個性として人であり続けることが可能性としても意志としてもありえなくなる、そのような状況の中の「人の顔」なのでしょう。

   

ペリリューの戦跡を訪ねて、なぜシベリア抑留なのか、私にもわからないが、ペリリュー戦跡行の間、詩人・石原吉郎、画家・香月泰男、そしてもうひとり、石原氏がもっとも影響を受けたという鹿野武一、この3人がずっと私の頭のどこかにいつも必ずいたような気がします。 なぜか3人ともシベリア抑留の人たちでした。
鹿野武一氏は、「人間的に話しあおうではないか」と迫る収容所の取調官に対し、泰然と
  「もしあなたが人間であるなら、私は人間ではない。
   もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない。」
と言い放ったエピソードを持つ人で、帰国後まもなく亡くなっています。鹿野氏は、シベリアにあっても、帰国後の日本にあっても終始一貫きびしい倫理を自ら課し「死を見据えた断念」を生きた人、だったようです。

このような良質な人材をことごとく消耗していったあの時代、まことに悔しい思いが尽きません。

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