JICAボランティアという在りかた

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スタブローク市場の象徴・時計台JICAによる途上国支援には多くの有償・無償資金援助があります。 億単位の巨大なプロジェクトなどは日本のメディアでもよく取り上げられてご存知のことも多いかもしれません。 私たちJICAボランティアの赴任現場というのは、多くの場合、そのような大きなプロジェクトとは無縁な個人レベルの技術支援・技術協力であるケースがほとんどで、必要な資金・資材もせいぜい数万~数十万、たまに百万を越す、といった程度です。ほとんどの活動現場では知恵と工夫を総動員して「できるだけカネのかからない=JICAボランティアがいなくなっても継続可能な形態で」というスタイルをめざします。
 
時として資金や資材を必要とするケースが持ち上がっても、最初は「現地側の自助努力で資金や資材の調達は可能か」という問題設定をして解決の努力をします。「進歩や発展にはカネやモノが必要になる、そのような時にどうやって自分たちでカネやモノを手に入れるか」を考えるようにもっていくのが基本です。資金・資材は先進国が支援してくれるもの、という思考回路が定着してしまうと、見た目にはカネやモノが増えて、進歩や発展を手に入れたように見えるかもしれませんが、カネが途切れ、モノが陳腐化すれば、さらなるカネ・モノの支援を求めるか、「進歩・発展」前の状態に戻るかしかありません。
 
ジョージタウンの水路に咲くハスの花パラオでシニアボランティアをやっていたとき、配属先でみたのはそのような典型例でした。 スタッフのPCにはほとんど小さなプリンタが備わっていて、さらにプリンタのインクカートリッジなどがインク切れになると、次のプリンタを購入、あるいはどこからか手に入れてくる、というのが実情でした。カートリッジを購入する予算がなく、先進国からの援助で入ってくるプリンタを次々に導入するため、職場にはあふれるばかりのプリンタの数でした。カートリッジなどの予算獲得の自助努力よりも、新しいプリンタを支援国に頼むほうがてっとりばやい、ということなのでしょう。
 
現地側の自助努力による資金・資材の調達が困難な場合(というか、予算がなくて困難な場合がほとんどですが)、JICAボランティアには「現地業務費支援制度」というのがあって、現地での活動に必要な資材調達の資金援助をJICA本部に要請できます。JICAボランティアには原則として「相手国にカネによる支援はしない」というのがありますので、あくまでも「現地活動に必要な業務費の援助」ということで、建前上は「相手国への資金援助」ではなく「ボランティアへの業務経費援助」になっています。
 
動物園にいた水浴び中のバクいろいろ書類を準備するのですが、この場合にもJICAとしての原則があって、「必要な業務経費援助はする、しかし資材の調達は現地で」というのがあります。 つまり、直接資材を日本から調達するのは、やむをえない場合を除いて認められません。これは、基本原則として、支援に必要なカネは現地に落とす、ということです。 日本で資材調達したのでは、カネは日本のなかでまわるだけで、相手国にモノは入りますが、カネはまわりません。「支援対象国(途上国)にカネを落とすこと」も大事なことです。
 
前任国スワジランドで、全国のHighSchoolのLAN構築作業に従事しましたが、最初に学校側に示した原則は「必要資材(ケーブル・ルータ・HUBなど)の調達資金は学校側で準備すること。 JICAボランティアは必要資材の調査・見積もり支援・LAN構築作業支援をおこなうが資金援助はできない。」というものでした。校内LAN構築に対するニーズは非常に強く存在していて、「カネは出さないよ」という厳しい条件下にもかかわらず、最初の調査で数十校が支援を希望し、なんとか資金調達の努力をしてくれました。その中で二人のIT教員がLAN構築作業を指導できるレベルにまで熟練し、私の作業をサポートしてくれるまでになりました。 おそらく理想的な展開であったと思います。
 
パラオやスワジランドで頻繁に目にしたケースに「先進国からの機器やソフトウェアの援助があっても、資金面でも技術面でも維持管理が困難なため利用されないままになってしまう援助物資(機器やソフトウェア)」というのがありました。( www.gskb.biz/swazi/?p=205 参照)それらの経験からいえることは、途上国にまず必要なのは「先進国からの援助に対する監査能力をもつ人材・監査技術のある人材の育成」ということでした。とりわけICTのような分野では先進国からの援助で得た機器やソフトが導入以降のサポートがない、または不十分なために「自分たちに十分な技術がないから使いこなせない」と「White Elephant(結果的に無駄におわった途上国への援助)」を生み出ていて、それらはほとんどの場合、導入時の監査能力(「自分たちで維持管理できるか否か」「自分たちのニーズに見合った機器・ソフトか」などを判断する能力)欠如からきています。、援助する側は政治的外交的プレゼンスの面からのみ判断し、援助を受ける側はそれらの援助の妥当性を監査する技術をもたない、こうした状況が「援助によって痛む途上国」という構図を生み出しています。
 

エセキボ河の船着場アフリカのいくつかの国で中国に対する評価が悪くなっている、と聞きます。 中国の途上国支援の場合、「資材の調達は主に本国(中国)から」、さらに「本国から労働者も連れてくる」という援助形態になっているらしく、アフリカ諸国からみれば、ほとんど雇用も産まないし、資材調達面においても調達資金は中国本国に還元されるばかりで現地にカネは落ちてこない、という現状が問題視されているようです。このような援助のあり方に対して「ほんとは何が必要か」ということにアフリカの人々がようやく気づき始めたのでしょう。
 

日本にいるときは、国際協力というテーマを考える場合、途上国と向き合う視点をもってしまいます。 つまり、どのようにして途上国を進歩・発展させるか、という問題設定から出発しようとします。しかし、実際に途上国に赴任し、活動を始めると、「途上国と向き合う」という立場はすぐに消えてしまいます。 途上国(の人々)と同じ視座で同じ方向を見るという立ち位置に(いつのまにか)かわっています。「途上国に向きあう視線」から「途上国から見つめる(人々の)視線」へと変化します。 支援の規模から言えば微々たるものですが、JICAボランティアの技術協力・技術支援の原則は、それなりに理にかなったものだと思えます。あくまでも途上国の自助・自立の可能性を引き出す努力、という原則・立場を見失わないこと、難しいことかもしれませんが、これがJICAボランティアに求められる姿勢だといえるでしょう。
 
国花・VictoriaAmazonia(オニバスの一種)今年(2015年)は青年海外協力隊50周年ということで、いろいろと記念行事がおこなわれています。しかし、問われるべきは「私たちJICAボランティアは50年かけて一国でも途上国を『途上国から卒業』させることができたか?できなかったとしたら、それはなぜか?」ということかもしれません。
 
これは私の単なる邪推にすぎませんが、先進国は「途上国援助」を、国際政治の舞台で政治的・外交的プレゼンスを高める格好の材料としてとらえていて、本音のレベルでは「いつまでも途上国でいてほしい」のではないのだろうか、とか考えてしまいますが・・・
 
繰り返しますが、今、多くの途上国がカネとモノの援助によって痛んでいます。 途上国の自立・自助を見据えた支援とは?という視点を欠いた援助をどれほど積み上げても、途上国が自立的に「途上国を卒業する」ための道筋はみえてこないでしょう。
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