途上国の現場から見えてくるもの

スワジランドの4行政区
スワジランドはほぼ四国ほどの広さの国土を4つの行政区に分けています。(右図)
各地区には、日本で言うと「県庁所在地」みたいな街があり、私が住んでいるHHOHHO(ホホ)地区では、首都でもあるMbabane(ムババネ)がそうです。
それら4つの都市には教育・訓練省の地方事務所(REO:Regional Education Office)があります。
また、Mbabane・Manzini地区にはもうひとつずつ支所が別の街にあります。
 
 

昨年(2012)南のShiselweni(シセルウェニ)地区Nhlangano(ランガノ)にあるREOから「LANのセッティング」を依頼され、ひとまずセッティングだけすましましたが、今年(2013)に入って、他のREOからも同様の依頼があがってきて、まず近場ということで、MbabaneのREOから着手しました。

MbabaneのREOは市内のビルの3階にあって、オフィスが10部屋ほど、そのうちLANケーブルが敷設してあるのは4室。 経理担当のオフィスにSwitchingHUBとRouterが設置されていました。
最初に見たとき、「HUBとルータがあるから、WAP(WirelessAccessPoint)をうまく設置してやれば、さほど手間なくLAN環境はできる」と見込んで、実作業にはいることにしました。
ところが、HUBとルータを収容するケースの中を見て、ガク然。 天井から電源ケーブルはきていて、プラグもさしてあったのですが、電源が入らず、結局この電源ケーブルには電力供給がありませんでした。 HUBは32ポートのSwitchingHUBが2セット。 ルータはCISCO製の立派なルータ。 数年間、びっしりとほこりを被ったまま、電力供給もなく、鎮座しつづけていた、というわけです。

こうしたことは、ここだけに限らず、NhlanganoのREOでも同様でしたし、ManziniのNCC(National Curriculum Centre)でも同じ状態でした。 さらに、昨年8月に全国のHighSchool19校を巡回したときにも、どの学校にも立派なHUB・ルータが設置されていましたが、ローカルなネットワークさえ多くの学校で稼動していませんでした。

「なぜローカルネットワークすら稼動させていないのですか?」と問うてみると、「自分たちにはネットワークを構築して、維持管理するだけの技術がないから」という答えが返ってきます。
さらに
「なぜこのような高価な機材を導入しているのですか?」と問うてみると、「自分たちが決めた機材じゃない、業者が選んだ機材だ」という答えだったり、沈黙のままだったり。

省庁や学校に最新のICT環境を、ということで、先進国から資金援助を受け、当地あるいは南アの業者によって設備・機材の導入をおこなった、というのが実態かと思われます。
おそらくは業者の「言い値」で業者の「勧めるままに」高価な機材を導入したのだろう、と思われます。 どうしてメンテナンス技術者もいないのにCISCOのルータを導入するのでしょう? どうして20台に満たないPCをつなぐのに、さらに言えば20台以上のPCを収容する広さもないPCラボなのに32ポートのSwitchingHUB2台を導入するのでしょう? どうしてそれらの機材を電源も通じないまま放置しておくのでしょう? どうしてそのような業者の工事に誰も何も言わないのでしょう?

「こういう状態になったのは『あなたがたに、ネットワークを構築して維持管理するための技術がないから』ではないのですよ。 あなたがたに必要なのは、業者の計画や見積もりや施工結果を監査する技術であり、ほんとうに必要な支援とはどういうものか見通す知恵、なのですよ」と、のど元まで出掛かる言葉を飲み込んで、「カネだけ出して、あるいはモノだけ与えて、事足れりとする」支援のありかたにフツフツと怒りを覚えたものでした。

パラオでシニア・ボランティアをやったときも同じ経験があります。 パラオでも現地スタッフは、台湾の援助で導入された高価なサーバー用機材(DELL PowerEdge2850 4台)を前にして「これらのサーバーが生かせないのは、自分たちの技術が足りないからだ」とあきらめ顔で訴えてきましたが、私はむしろ高価なサーバー機材を与えたまま全くフォローをおこなわない先進国の支援のありかたに怒りを感じていました。 一年に一度わずか一日だけ、サーバーの調子を見に来る台湾のエンジニアと一応笑顔であいさつをかわしていましたが、「それが君たちの途上国支援なのかよ!」と腹の中は煮えくりかえっていたものでした。

「与えられた機材を使いこなせないのは、自分たちに技術がないせいだ」とあきらめてしまう途上国のスタッフを見るたびに、私は「そうじゃないですよ、まず問われなければならないのは、そうした先進国の支援のありかた、なんですよ」といつも思います。 なぜ使いこなせるまで面倒みてくれないのだろう? 理由はかんたんです。 「カネを出す」「モノを与える」という援助の訴求力・見栄えの良さに比べれば、「あとあと面倒をみる」という支援の外部訴求力は地味かつ圧倒的に弱く、「釣ったサカナにエサをあたえ続ける」のは「うまみのない支援」ということなのでしょう。

パラオでも、ここスワジランドでも見続けてきた、「現地の維持管理能力を見極めもしない、『カネ』や『モノ』だけの援助」はもうやめてほしいと、心からお願いしたいのです。

新聞記事3/10 Fire Dept.のWhite Elephant
ここに最近(2013年3月中旬)新聞に載った記事があります。 スワジランド・消防局に導入されたシステム機器が「White Elephant」(無用の長物、失敗に終わった巨額投資)になっている、という記事です。2010年に導入され、数ヶ月稼動した後、落雷と豪雨で稼動不能となり、南アの業者に修理を依頼するも効果なく、現在「White Elephant」状態である、とあります。 なぜ「自分たちで維持管理可能な設備なのかどうか」を導入前に検討しなかったのでしょう? なぜ業者は「スワジランド消防局にこのシステム機器の維持管理は不可能である」として計画変更(規模縮小etc)を勧告しなかったのでしょう?  そこには、「『カネ』や『モノ』だけの援助」でアフリカにおける政治的外交的プレゼンスだけを求める先進国と同様に、途上国側の監査能力不足につけこんで、こうした「White Elephant」を途上国に産みおとし続けるビジネスを展開する業者の姿が浮かんできます。

JICAボランティアとして途上国の技術協力現場に立ち、途上国側から先進的で高価な機材を誇らしげに見せられるたびに、私はある種の「危うい感覚」をいつも覚えます。 そしておそらくその危うさはほぼ100%の確率で現実となっています。 そしてまたその「White Elephant」への反省もないままに、また「次なるWhite Elephant」が産みだされていく、いつまでたっても途上国には投資に対する監査能力も支援機材の維持管理能力も定着せず、先進国の政治的外交的プレゼンスの材料を提供し続ける、・・・・・途上国の現場から見えるのは、実にこうした現実です。

先進国の対途上国支援の華々しい成果がひとつ報道されると、その華々しさの陰には途上国の現場でこのような「White Elephant」がその数倍・数十倍も生み出されている、という現実があるということ、忘れないでほしいと思います。

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  1. ピンバック: JICAボランティアという在りかた | JICA volunteer in Guyana

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