選挙の年

スワジランドでは今年国会議員の選挙がおこなわれる予定です。

まず、この国の政治制度について、基本的な知識として知っておいたほうがいいと思われることから。
 1.国王を元首とし、憲法を持つ : 一応、「立憲君主制」の形態ですが、
   欧米諸国からは「最後の絶対王政国家」と呼ばれていたりします。
 2.「絶対王政国家」と呼ばれる根拠として、
   2-1 国会は国王の「諮問機関」として位置づけられている
       (むしろ「諮問機関としての機能しかもたない」と表現するほうが
        適切かもしれません)
       国会による立法は国王の承認を経てはじめて法として有効になる。
   2-2 首相・大臣の任命権は国王に。
       国王を補佐する機関(King’s Advisory Counsil)が指名した人事を
       国王が認証・任命。
       首相は独立以来、国王一族である「Dlamini(ドラミニ)家」から
       選出されている。
   2-3 複数政党制を認めず、政党としては国王を支持する政党のみ合法。 
       他の政党は非合法。
       メディアの論調:「複数政党制はスワジランドの民主主義にそぐわず、
               国家に混乱と分裂を持ち込む」

新聞では、政治家のスキャンダル(金銭にまつわるスキャンダルがほとんど)や高すぎる報酬などを取り上げることはありますが、制度そのものに疑問符を投げかける記事はめったにみることができません。

複数政党制は民主主義の基本、というのが私たちの常識なのですが、ここスワジランドではそうではなくて、むしろ逆です。
「複数政党制はスワジランドの統一(Unity)と伝統(Tradition)に混乱と分裂を持ち込む制度である」というのが主たる論調です。
ですから、国会議員の選挙、といっても実態としては、王党派の候補者、あるいは地域の有力者に対する信任投票、といった色彩が色濃いようです。
(振り返ってみると、前任地パラオも同じような印象でしたね。 パラオにも政党はなく、Clan(部族)社会の色彩を残した州制度下で「面倒見の良い我らが代表」を国会に送る、というのが国政選挙のようでしたし、大統領選挙でいえば「いかにアメリカからたくさんおカネを持ってくるか」が政治家の力量(評価軸)であるような政治風土で、「政策上の違い」を求める選挙民はいなかったように記憶しています)

選挙の年 Another Dlamini PM?
そんななかで、ある新聞で最近「Another Dlamini PM?」という編集委員の記事が載っていました。
長い記事ですが、要約すると「もういいかげんにDlamini家の首相はやめてもいいのでは?」というような主旨でした。

メディアが現政権を批判することは、例えばスキャンダラスな出来事を取り上げて記事にする、といったケースがよくありますし、とくに金銭の絡むスキャンダルでは度々記事になったりしますが、制度そのものに踏み込んで現政権や政体・制度に疑問符を投げる記事、というのはほとんど見たことがありません。
計算ずくのことなのかどうかは私にはわかりませんが、ある程度「ガス抜き」の効果を狙って、そうしたスキャンダルの取り上げを見逃しているような気配もあります。
ですから、この記事をよんだ時は「大丈夫なのかな・・・?」というのが最初に感じたことでした。

複数政党制による民主主義をあたりまえのことと感じる私たちの感覚からすれば、スワジランドの国会は一言で単純に言ってしまうなら「大政翼賛会」です、政体も同様に「翼賛政治」です。
しかし、スワジランドという国にもう一歩深く入ってみると、そう単純に片付けていいものでもない一面が見えてきます。

Swazilandの政体を考えるときに見逃せない要素として、この国自身が現政体のベースと考えているThinkhundla Systemというのがあります。
私もまだよく理解できていませんが、おそらく国家という形態以前の地域部族社会を統治の基礎におく政体、といっていいかと思うのですが、自信ありません。
部族(Clan)社会における部族長・長老支配、あるいは部族社会レベルでの直接民主主義制、これらを国家のレベルに単純に投影したような政体、といえばいいでしょうか・・・?
さきほど「スワジランドの統一(Unity)と伝統(Tradition)」という表現を用いましたが、これを支えているのがThinkhundla Systemだろうと思います。
そして国王はいわば「部族長の長」といった位置づけと考えていいかもしれません。
この国では、今も最大部族・Dlamini一族による政権が続いています。 
年に一度「国王・首相も、国民も王宮の庭に一同に会して議論する」という「Sibaya」と呼ばれるセレモニーがあります。 英訳では「People’s Parliament」と訳されていて、昨年(2012)は8月の初旬に王宮の庭に多くの国民が集まって開かれていました。民族衣装の国王も、背広姿の首相も皆王宮の庭に座り込んで、議論に耳を傾けます。「青空国会」とでもいえばいいでしょうか。 おそらくこれもThinkhundla Systemの重要な要素だと思われます。 
メディアは「これこそSwazilandの民主主義であり、世界に誇る草の根民主主義(Grass root Democracy)である」と大々的に報道しています。 そこでの議論が政策として具体化する道筋があるのかどうか、よくわかりませんが、おそらく典型的・かつきわめて高度に政治的な「ガス抜き」という印象があります。
一方では、「複数政党制はスワジランド固有のThinkhundla Systemに混乱と分裂を招くシステムだ」というメディアの論調があり、TimesとかObserverとか国内に数紙発行されていますが、ほとんど論調に違いはないように感じます。

ですから、この記事にあるような「Another Dlamini PMはもうやめてもいいのでは・・・」というような議論は、複数政党制とか国会の立法府としての独立性とか、私たちにとってごく当たり前の民主主義がベースにあって初めて可能になる議論だとおもわれるので、まだまだ当分の間「Another Dlamini PM」は続くことになるのでしょう。 ありうる変化としては「Dlamini家から初の女性首相」がせいぜいでしょう。

経済的な行き詰まりとこうした政治的な閉塞状況が今のスワジランドの支配的な空気なのだろうと思います。 若い年代にとってはつらい空気かもしれません。

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