パラオでは毎月の電気代をPPUC(Palau Public Utilities Corporation) (日本で云う『東電』とか『関電』に相当)に払いに行きます。PPUCの窓口に行くと、支払いに来た顧客向けの注意書きが貼ってあります。
下の画像がそうです。 左側がパラオ語、右側が英語、です。

注目は、左側パラオ語表示の赤い下線の部分。
TOKUBETS : 日本語「特別」ですね。
OKIAKSANG : 日本語「お客さん」です。
パラオ語に「キャ」という音がないようで、「KIA」と表記されています。
「写真」が「SIASIN」と表記されるのと同じだと思います。
to valued customers が「TOKBETS el OKIAKSANG」です。
はじめて見たときは、「え!」っとふきだしかけましたが・・
HARAU : 日本語「払う」です。
DENKI : 日本語「電気」です。
DEMBIO : 日本語「伝票」です。
「B」は、「子音の前後のbはp音で発音される」というルールに
したがって、p音で発音されるようです。
「日本語の残骸」がごろごろしていますね。
「払う」に相当するパラオ語がなかったのか、といろいろ疑問に思うこともありますが、
おそらく自給自足・物々交換で事足りていたパラオで「おカネを払う」という、外来の概念が日本統治時代に定着して、同時にその日本語「払う」が外来語として定着したのでしょう。 もう一歩考えを進めると、昔、「石貨」が存在していたはずなので、貨幣による「支払い」という考え方はあったはずなんですが、どうなんでしょう??
ひょっとすると、「石貨」には「等価交換」という概念があったのでは、と思います。
「土地を取得し、家を建てる」という労働と、製造するのにそれと同等の労働を要する「石貨」とが「等価交換」される、という仕組みがあったらしいですが、貨幣経済の仕組みでは、「一枚の紙切れ」とさまざまな品物が等価交換される、ということが理解しづらかったんじゃないか、と想像します。 そのために「払う」という日本語が「価値のある紙切れで、さまざまな品物を手に入れる」という概念を表現する言葉として、パラオ語に定着したのかな、とか・・・