【Swaziland便り:「影のなくなる日」】

先日、中部Manzini(マンジニ)地区の学校へPCラボ調査に行った時のこと。
初めて訪ねる学校で、その日の公用車のドライバーも「その学校は行ったことがない、道順を誰かに訊かなくては」と。
何度か道行く人に尋ねて、ようやく学校に到着し、調査も済ませ、さて帰途につこうか、というときのこと。
時刻はちょうど正午頃。 私は自分が今いる場所・これから戻るムババネの方角がわからなくなっていました。

もともと方向音痴気味の私は、例えば東京で地下鉄を降りて地上にあがったとき、自分が今どっちを向いているのか、どちらに向かえばいいのか、わからなくなることがよくあって、そんなときには必ず空を見上げて太陽の位置をみ、さらに建物や電柱の影の方向を確かめます。そうすれば事前に地図で確かめておいた「xx駅から東に向かう」という情報を加えて、向かうべき方向がわかります。

今回も幸いにも晴天だったので空を見上げ太陽の位置と周囲にあった電柱の影の方向を確かめようとしました。
ところが、電柱に影が見当たりません。

影のなくなる日。 影をなくした生徒たち
ムババネは南緯26度ほどの位置にあり、その学校はムババネから50kmほど離れています。 今12月の初旬。 まもなく(日本流に言えば)冬至、つまり太陽はお昼頃、南回帰線(南緯23.5度)あたりで(日本流に言えば)南中、(こちら流に言うと)北中、します。 
多少離れていますが、スワジランド(南緯26度付近)でも12月の冬至のころ、太陽は天頂近くを通過します。 太陽が天頂近くにあると、電柱も木々もあるいは人々も、自身の影をなくします。 右の写真(クリックして拡大可)は訪ねた学校でちょうど生徒たちが外にいたので撮ったものですが、歩いている生徒の足元をよく見ると影が見当たりません。 手前のすこし丈の高い草も影をなくしています。
 
 
かつてスリランカやパラオでJICAボランティアをやっていたときも、同じ経験をしました。 どちらも北緯6・7度付近だったので、4月と8月ころに太陽が天頂付近で南中し、影がなくなる日々を体験しました。
電柱の影も自分自身の影もなくなって自分が今どちらを向いているのかわからなくなったとき、妙に頼りない気分を味わいました。 おおげさな言い方をすれば、自分自身のアイデンティティがふらついているような、そんな気分、あるいは、影によってようやく対自的に「わたしは、その影の主であるわたし、だ」と納得していたのに、突然「わたしは、・・・・」と対自的な了解へのはしごを外されて失語に陥ってしまったような、そんな気分です。

おそらく太古の昔の人々も自分の影でもって自分の姿・形・位置・方向を知り、即自から対自への橋を渡ったはずで、その影がすっと消えてなくなる暫時、己の位置を失い、己の方向を失い、私が感じたようなアイデンティティのふらつきを感じていたかもしれません。

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